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大阪高等裁判所 平成7年(ネ)690号 判決

控訴人 有限会社港実業

被控訴人 国

代理人 草野功一 脇本佳昭 ほか三名

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を次のとおり変更する。

2  被控訴人は、控訴人に対し、九〇〇〇万円及びこれに対する平成五年二月五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(控訴人は、当審において、請求を「一億八〇〇〇万円及びこれに対する平成五年二月五日から支払済みまで年五分の割合による金員」から右のとおりに減縮した。)

3  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

主文と同旨。

第二当事者の主張

当事者双方の事実の主張は、次のとおり付加するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決五枚目裏一〇行目の次に行を改めて、次のとおり付加する。

「(4) 仮に即日却下できないとしても、登記官は、調査が完了して申請の却下事由が明確になったときは、同条に則りすみやかに申請を却下すべき義務がある。補正日は、多くの登記申請を処理するため、実務上便宜的に設けている救済措置であって、調査が完了した登記申請の却下決定等を、それまで放置しうる日ではない。」

二  同六枚目裏一〇行目の「一億八〇〇〇万円」の次に「につき控訴人にも損害が発生したことに五割の過失があったから、これを控除し九〇〇〇万円」を付加する。

第三証拠

原審の訴訟記録中の証拠目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  当裁判所も、控訴人の請求は理由がないから棄却すべきであると判断するものであり、その理由は、次のとおり付加するほかは、原判決の理由説示のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決一九枚目表二行目の「その欠缺が」の次に「取下後において」を付加する。

2  同二四枚目表九行目の「即日」の次に「若しくはその後においてすみやか」を付加する。

二  結論

よって、原判決は相当であり(なお、控訴人の請求の減縮により、原判決のうち当審での請求減縮部分は失効した。)、控訴人の本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判官 宮地英雄 井土正明 赤西芳文)

【参考】第一審(大阪地裁 平成七年(ワ)第一四五号 平成七年三月三日判決)

主文

一 原告の請求を棄却する。

二 訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一 請求の趣旨

1 被告は、原告に対し、金一億八〇〇〇万円及びこれに対する平成五年二月五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

3 第1項につき仮執行宣言

二 請求の趣旨に対する答弁

1 主文同旨

2 担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一 請求原因

1 原告は、平成四年八月一三日、広田幸雄と称する者(以下「自称広田」という。)に金三億三四二五万円を騙取されたが、その経緯は、以下のとおりである。

(一) 別紙不動産目録記載の土地(以下「本件土地」という。)は、広田幸雄の所有であるところ、平成四年八月一一日、原告は、知り合いの者から、本件土地の所有者が、本件土地を担保に金三億五〇〇〇万円の融資を望んでいるので、融資に応じて貰えないかとの打診を受けた。

(二) 同日、原告は、物件所在地に赴いて調査し、担保価値が十分であると判断したので、翌一二日、原告事務所において、自称広田と会い、運転免許証により広田幸雄本人であると確認し、金三億五〇〇〇万円の融資の申込みを承諾した。

(三) その際、原告と自称広田は、右融資金の担保のため、本件土地に、債権者を原告、債務者を広田幸雄、極度額を金四億五〇〇〇万円とする根抵当権設定登記及び賃借権設定仮登記を行うことを合意した。

(四) 翌一三日、原告及び自称広田は、原告事務所において、右登記申請手続の代理を平井照男司法書士(以下「平井司法書士」という。)に委任することにし、平井司法書士に対し、右登記申請手続に必要な添付書類を手渡した。

(五) 同日、平井司法書士は、大阪法務局に対し、右各登記申請を行った(受付番号第一九九四九号及び第一九九五〇号)。

(六) 同日、原告は、自称広田に対し、原告事務所において、貸付金名下に現金一億五四二五万円及び銀行の自己宛振出小切手五通(額面合計金一億八〇〇〇万円)の合計金三億三四二五万円を手渡した。

(七) ところが、自称広田は、実は広田幸雄本人ではなく、自称広田が持参した登記済証、印鑑証明書、登記委任状等の登記申請の添付書類も、すべて偽造されたものであることが後日判明した。

2 大阪法務局は、平成四年八月一九日、右登記申請を添付書類の偽造を理由に却下したが、その経緯は、以下のとおりである。

(一) 同月一三日に右登記申請を受け付けた大阪法務局は、即日、右登記申請添付書類の内、少なくとも広田幸雄の登記済証の偽造に気付いた。

(二) そのため、大阪法務局は、右同日、電話で、大阪府警東警察署(以下「東警察署」という。)に右事実を通報した。

(三) 同月一七日、大阪法務局は、東警察署に対し、文書による告発を行った。

(四) 同月一九日、東警察署は、大阪法務局が保管している本件登記申請にかかる書類のすべてを差し押さえた。

(五) そこで、右同日、大阪法務局は、平井司法書士に電話をし、添付書類の偽造を理由に登記申請を却下する旨、初めて連絡した。

3 被告の責任原因

(一) その一(告知義務違反)

(1) 不動産登記事務取扱手続準則(以下「準則」という。)は、五四条二項において、「登記申請を却下すべき場合には、なるべく事前にその旨を申請人または代理人に告げ、申請の取下げの機会を与えるものとする。」と定め、申請人または代理人に登記申請の決缺を早く知らせて、同人らをして遅滞なくこれに対処し得るようにしており、登記実務においてもこれを受け、却下事由がある場合、慣行として事前取下勧告がなされている。

(2) 加えて、民事上の取引に起因する登記申請にあっては、通常は少なくとも登記申請人の一方は被害者なのであるから、添付書類の偽造等を発見した登記官は、損害を未然に防止するために、その旨を申請人またはその代理人に告げて、申請の取下げの機会を与えるべき条理上の義務がある。

(3) 平成四年八月一三日に前記登記申請を受けた大阪法務局登記官は、即日、その添付書類の偽造を発見したのであるから、前記準則及び慣行並びに条理上の義務から、直ちにその事実を原告または代理人に告げるべきであったにもかかわらず、これを怠った。それどころか、原告が、本件登記申請の代理を委任した平井司法書士の事務員である訴外平井智孝(以下「智孝」という。)が、平成四年八月一七日から一九日までの間、毎日添付書類の差換えのために大阪法務局を訪れ、登記官にその旨告げており、一方、大阪法務局は、右一七日に本件について東警察署に告発をしていたにもかかわらず、登記官は、智孝に対して真実を告げず、その都度調査が未了である旨の虚偽の事実を告げていた。

(二) その二(即日却下義務違反)

(1) 不動産登記法(以下「不登法」という。)四九条八号は、本件のように「申請書に必要なる書面を添付せざるとき」を却下事由として掲げているところ、同条本文但書きは、「決缺が補正すること得べき場合において、申請人が即日これを補正したる時は、この限りにあらず」と規定しており、これを受けて運用上、申請日から数日後の補正日なるものが指定されている。

(2) 本件では、補正日である平成四年八月一九日に却下決定がなされているが、補正日は、申請人に補正を促すための日であって、本件のように補正が不可能な場合に、却下決定の引き延ばしができる期限ではない。

(3) 平成四年八月一三日に前記登記申請を受けた大阪法務局登記官は、即日、根抵当権設定登記の添付書類である登記済証の偽造に気付き、かつ、根抵当権設定登記の申請の却下が可能であったのであるから、不登法四九条に則り、これを即日却下すべきであったにもかかわらず、これを怠った。

4 損害及び因果関係

平成四年八月一三日、原告が自称広田に手渡した銀行の自己宛小切手五通の取立日は、それぞれ以下のとおりであったから、大阪法務局登記官が、前記告知義務または即日却下義務を履行していれば、右小切手の現金化を防ぐことができた。

(一) 振出人 信用組合大阪興銀南出張所

額面 二〇〇〇万円(No.B一一二二)

取立日 同月一四日

(二) 振出人 右同

額面 三〇〇〇万円(No.B一一二三)

取立日 同月一四日

(三) 振出人 右同

額面 二〇〇〇万円(No.B一一二一)

取立日 同月一七日

(四) 振出人 右同

額面 一〇〇〇万円(No.B一一二〇)

取立日 同月一七日

(五) 振出人 大阪信用組合東成支店

額面 一億円

取立日 同月一八日

5 よって、原告は、被告に対し、国家賠償法一条に基づく損害賠償請求として、右小切手金相当額金一億八〇〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成五年二月五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二 請求原因に対する認否

1 請求原因1について

(一) 請求原因1の(一)ないし(四)及び(六)の事実はいずれも知らない。

(二) 同(五)の事実については、平成四年八月一三日、平井司法書士を代理人として、所有権登記名義人表示変更登記(同日受付第一九九四八号・所有権登記名義人広田幸雄)、根抵当権設定登記(同日受付第一九九四九号・登記権利者原告・登記義務者広田幸雄)、賃借権設定仮登記(同日受付第一九九五〇号・登記権利者内外不動産株式会社・登記義務者広田幸雄)の各申請があったことは認める。

(三) 同(七)の事実については、右登記申請にかかる登記義務者の権利に関する登記済証、印鑑登録証明書及び住居表示変更証明書が偽造されたものであることは認めるが、その余の事実は知らない。

2 請求原因2について

(一) 請求原因2の冒頭部分について、大阪法務局登記官が、右各登記申請を、平成四年八月一九日に却下したことは認める。

(二) 同(一)ないし(四)の事実は認める。

(三) 同(五)については、同月一九日、大阪法務局登記官が、平井司法書士に電話をし、右各登記申請を、不登法四九条八号により却下する旨連絡したことは認めるが、その余は争う。

3 請求原因3、4はすべて争う。

なお、大阪法務局登記官が、右登記申請が偽造の添付書類に基づくものであると最終的に判断したのは、同月一四日の午前中であった。

4 被告の主張

(一) 告知義務について

(1) 法令上、原告の主張する告知義務を定めた規定はなく、解釈上かかる義務を導き出し得る規定もない。

(2) 準則五四条二項の規定が原告主張のとおりであることは認めるが、同項は、登記申請に却下事由がある場合、登記官が必ず却下しなければならないとすれば、申請者にとっては、申請書の還付を受けられず、また使用した印紙の再使用もできなくなるなどの不便を強いることになり、また、登記事務担当者にとっても却下手続は煩雑であり、事務処理を停滞させる原因にもなりかねないことから、取下げのできる登記申請について、申請者に対し、取下げの機会のあることを知らせ、取下げを促すことにより、申請却下に伴う前記負担等を軽減しようとする趣旨の規定である。しかしながら、本件のように、添付された登記義務者の権利に関する登記済証、印鑑証明書等が偽造されたものであると判明した場合は、そもそも申請の決缺を補正することは不能であり、任意の申請取下げを認めることは予定されていないのであるから、かかる場合に、右準則に基づき取下げの機会を与えることはない。

したがって、右準則を根拠に告知義務を導き出す余地がないことは明白である。そして、原告の主張する事前取下勧告の慣行も、右準則に基づくものであって、本件のような場合に取下げの機会を与えるための勧告を行う慣行はない。

(3) 原告は、民事上の取引に起因する登記申請にあっては、通常は少なくとも登記申請人の一方は被害者なのであるから、その損害を防止する必要があるとして、条理上告知義務が課せられると主張する。

しかしながら、法令上何ら根拠を有しない行為義務としての本件告知義務を法的義務として登記官に課すことは、登記官に実体的審査権限を付与していない法の趣旨に反するものであるとともに、登記官に不可能を強いて、登記事務処理の円滑な運営を阻害するものである。

そもそも、民事上の取引に起因する危険を防止する責任は、本来取引当事者が負うというべきであり、権利の登記については形式的審査権のみが付与されているにすぎず、偽造文書による登記申請によって申請者のいずれがどのような損害を受けるかについておよそ知り得ない立場の登記官に、偽造の添付書類に基づく登記申請があった場合に、抽象的概括的に条理上の告知義務が生じるということは、法理上考え難いものというべきである。

(4) 仮に、具体的事実関係の下において、条理上の告知義務が生じる余地があるとしても、本件登記申請については、有印公文書偽造、同行使罪で捜査機関に告発する必要があり、申請書類を還付することになる取下げを勧告することは相当ではないこと、登記官において登記申請の背後にある融資関係及びその決済方法等、本件結果の発生を予見するに足りる事情を認識しえたとはいえず、本件結果の発生についての予見可能性はなかったと解するのが相当であること、反面、本件損害は、原告の極めて安易な慎重さを欠いた取引に基づくものであって条理を持ち出してまで保護を与える必要があるのか疑問であることなどに鑑みれば、条理上の告知義務は発生しないと解すべきである。

(二) 即日却下義務について

(1) 本件登記申請は、〈1〉所有権登記名義人表示変更登記申請、〈2〉根抵当権設定登記申請、〈3〉賃借権設定仮登記申請の計三件の登記申請が右の順序で一括して提出されたものである。登記官が申請書を受け取ったときは、受取の手続をした上、受付番号の順序に従い、申請に関するすべての事項を調査し(不登法施行細則(以下「細則」という。)四七条)、申請に応じた登記をなすべきか、または登記申請を却下すべきかを決定しなければならないとされており、本件登記申請についても、登記官は、右のとおり受付順に従い、申請に関するすべての事項を調査することになる。本件登記申請にあっては、先順位の所有権登記名義人表示変更登記申請の添付書面の住居表示変更証明書及び当該根抵当権設定登記申請に添付の印鑑証明書についても偽造の疑いが生じていたのであるから、これらの調査を省略し、単に登記済証のみを調査して、原告主張のようにその余の調査をする必要がないとはいえない。

(2) 大阪法務局登記官は、所有権登記名義人表示変更登記、根抵当権設定登記、賃借権設定仮登記の各登記申請について、すべてが偽造の添付書類に基づく申請であるとの調査を終えたのは平成四年八月一四日の午前中であって、その後補正日である同月一九日に却下手続をとっているのであるから、右手続に何ら違法性は見い出せない。

(三) 因果関係について

(1) 原告が被ったと主張する損害は、原告の代表者及び同人が依頼した司法書士の過失ないし真に帰すべき事由により発生したものであって、原告主張の登記官の不作為との間には相当因果関係がない。

(2) 本件において、原告は、平成四年八月一三日に同日付け金融機関の持参人払式自己宛小切手を交付しており、いずれも振出日より一〇日間の呈示期間内である同月一八日までに取り立てられているが、金融機関の自己宛小切手については、支払委託の取消は観念しえない以上、仮に登記官が、原告主張の行為をし、原告が金融機関に支払の停止を求めていたとしても、金融機関がそれに応じて呈示期間内の持参人に対する小切手金の支払を停止することはあり得ず、同月二三日の呈示期限までに取立に回ってきた小切手の現金化を防ぐことは、不可能であった。

したがって、原告主張の登記官の不作為と原告主張の損害との間には因果関係がない。

第三証拠

本件訴訟記録中の書証目録欄及び証人等目録欄記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一 争いのない事実に、〈証拠略〉を総合すると、次の事実が認められ、これに反する証拠はない。

1 金員騙取及び登記申請の経緯

(一) 原告は、金融業を営む会社であるが、平成四年八月一一日、原告の当時の代表者であった楠益治(以下「楠」という。)は、かねてからの知り合いであり、同じく金融業などを業とする株式会社大創の代表者岩谷充晴(以下「岩谷」という。)から、本件土地の所有者が、本件土地を担保に、三億五〇〇〇万円の融資先を捜しているのだが、応じて貰えないかとの打診を受けた。

楠は、直ちに現地に赴いて本件土地を確認し、担保価値が十分であると思われたことから、右融資の打診を受けてから数時間後には、所有者本人に会って意思確認ができれば融資に応じるとの返事をした。

(二) 翌一二日午前中、楠は、本件土地の登記簿謄本により、本件土地の所有者が広田幸雄であることを確認し、同日夕方、原告事務所において、岩谷ほか数名と共に出向いて来た自称広田と面談した。

楠は、自称広田から、同年八月下旬に予定されている銀行融資までの繋ぎ資金として、本件土地を担保に三億五〇〇〇万円を融資して欲しい旨の申し入れを受け、自称広田が持参した自動車運転免許証により、同人が本件土地の所有者である広田幸雄本人であると確認した上で、本件土地に極度額を四億五〇〇〇万円とする根抵当権設定登記及び賃借権設定仮登記をすることを条件に右申込みを承諾し、翌一三日午後二時に三億五〇〇〇万円の融資を実行することを合意した。

(三) 翌一三日午後一時前、楠は、右登記申請手続を委任するため、平成元年の原告会社設立以来、必要な不動産登記手続あるいは商業登記手続のすべてを委任してきた平井司法書士の事務所に電話をしたが、同司法書士は不在であり、司法書士の資格のない同司法書士の息子であり、その業務を日常補助している智孝に対し、同日中に登記申請手続をしてもらいたい取引があるのですぐ来てほしい旨を告げ、右登記申請手続のため原告事務所に来るように求めた。

智孝は、平井司法書士本人ではなく、資格のない智孝でもよいとの楠の意向を受けてこれに応じた。

(四) 同日午後一時五〇分ころ、自称広田ら関係者が原告事務所に集合したので、智孝は、事前に楠から見せられていた自称広田の自動車運転免許証のコピーで同人が広田幸雄本人であると確認し、登記申請書類の確認などを行った後、「これで結構です。」と書類が整っている旨告げた。

(五) そこで楠は、自称広田に対し、利息等を天引きして、現金一億五四二五万円及び銀行の同日付け自己宛振出小切手五通(額面合計一億八〇〇〇万円、以下「本件小切手」という。)の合計三億三四二五万円を手渡したが、自称広田は、実は本件土地の所有者である広田幸雄本人ではなく、別人であり、右現金及び本件小切手は、自称広田らに騙取されたものであった。

(六) 智孝は、同日午後三時一〇分ころ、登記申請書類を携えて原告事務所を出て、平井司法書士の事務所に戻り、同司法書士に対し、同日中に登記申請手続をして欲しいとの楠の意向を伝え、同司法書士において登記申請書類を整え、受付終了時間(午後五時)直前である同日午後四時五〇分ころ、智孝が大阪法務局に赴き、平井司法書士を代理人とする、所有権登記名義人表示変更登記(平成四年八月一三日受付第一九九四八号・所有権登記名義人広田幸雄)、根抵当権設定登記(同日受付第一九九四九号・登記権利者原告・登記義務者広田幸雄)、賃借権設定仮登記(同日受付第一九九五〇号・登記権利者内外不動産株式会社・登記義務者広田幸雄)の各登記申請(以下「本件登記申請」という。)を行った。

(七) 本件小切手の振出人、額面金額、手形番号及び取立日は、請求原因4の(一)ないし(五)記載のとおりであり、いずれも平成四年八月一四日ないし同月一八日の間に取り立てられ、現金化された。

2 大阪法務局の対応

(一) 平成四年七月下旬ころ、埼玉県に本社のある大成建設という会社の職員から、大阪法務局に対し、融資の当事者であるが、相手方から預かった本件土地の登記済証が本物かどうか確認してほしいとの相談があり、法務局において、同人が持参した本件土地の登記済証、印鑑登録証明書及び住居表示変更証明書の写しを確認した結果、偽造の文書であることが分かった。

同年八月初旬ころ、本件土地の真の所有者である広田幸雄本人が大阪法務局に来庁し、最近不審な電話がかかってくる、知らない人が本件土地を測量しているとなど述べたため、大阪法務局では、同人から、本件土地の真正な登記済証の写しを入手した。

そこで、大阪法務局統括登記官である福島廣(以下「福島」という。)は、右相談の要旨、本件土地については不正の登記申請がなされるおそれがあるので注意すること及び登記申請があれば、速やかに統括登記官である福島の方へ連絡されたい旨を関係部署に指示した。

(二) 平成四年八月一三日午後四時五〇分ころ、本件登記申請を受け付けた豊国登記相談官は、受付の情報入力をしようとして本件登記申請にかかる物件を確認したところ、右物件が、事前に福島から注意をするよう情報を受けていた物件であることに気付き、直ちに福島に、右物件について登記申請がなされた旨を報告した。

(三) 右報告を受けた福島が、本件土地の登記済証が偽造によるものか否かを、大成建設から入手した登記済証の写し及び広田幸雄から入手した真正な登記済証の写しと照合するなどして確認したところ、右登記済証は、真正な登記済証と異なり、昭和二八年の作成日付であるにもかかわらず、当時は使用されていなかった別紙(1)のとおりの現行の形式の登記済印が押されていたこと(大阪法務局において、昭和四〇年の準則の改正に基づき、別紙(1)の様式の登記済印が使用されるようになったのは昭和五四年以降であり、それまでは別紙(2)のとおり、登記済印と法務局印が別個に押印される様式のものであった。)、地目が宅地であるのであるから、地積はメートル法の施行されていない当時としては「坪」で表示するのが正しいにもかかわらず、「参反五畝壱拾壱坪九合」と農地の場合に使われる「反」「畝」が使われていたことなど、大成建設から入手した登記済証の偽造態様と同一であったことから、右登記済証も偽造によるものであると判断した。

また、本件登記申請の添付書類のうち住居表示変更証明書については、大成建設から入手したものと全く同一のものであったことから偽造文書であると判断するとともに、印鑑登録証明書は、右同様に入手したものと証明年月日と交付番号が異なっていたが、大成建設から相談を受けた際に、発行庁である東成区役所に確認し、東成区には広田幸雄なる人物はいないとの回答を得ていたことから、右印鑑登録証明書についても偽造によるとの疑いを抱いた。

そこで、福島は、同日午後五時三〇分ころ、とりあえず、東警察署に偽造されたと思われる登記済証により登記申請がなされた旨通報し、真の所有者である広田幸雄にも右事実を連絡した。

(四) 福島は、印鑑登録証明書について、証明年月日と交付年月日が大成建設から入手していたものと違っていたことから、再度、東成区役所に確認する必要があると判断したが、当日は、午後五時を過ぎていたことから、翌一四日午前中に右事実の確認を行い、その結果、やはり右印鑑登録証明書も偽造によるものであると判断した。

以上の調査を経て、大阪法務局において、本件登記申請がいずれも偽造の添付書類に基づく不真正なものであると最終的に判断したのは、同月一四日午前中であった。

(五) その後、福島は、告発手続の準備に入り、同日午後遅く告発書類の起案を終えた。

翌一五日は勤務をしない日であり、一六日は日曜日であったため、右書類は、同月一七日、首席登記官以下局長までの五名の決済を終えた。

同日午後、大阪法務局は、東警察署に対し、有印公文書偽造、同行使罪の疑いで、右告発書により告発を行った。

その際、東警察署から、捜査のため押収するまで申請人に関係書類を返還しないようにとの指示を受けた。

(六) 同月一九日午前一〇時ころ、捜査機関が差押許可状を提示して本件登記申請書及び添付書類の押収を求めたので、担当登記官は、不登法四九条八号に基づき、却下手続などをとった上、これに応じた。

(七) 同日午前中、平井司法書士の事務所に、警察から、本件登記申請の件について事情を聞きたいとの連絡があり、その後、同日午後、大阪法務局から却下手続をとる旨の連絡があった。

なお、智孝は、却下手続がなされるまでの間、賃借権設定仮登記申請の添付書類である内外不動産株式会社の資格証明の期限が切れていたことから、その差し替えのため、何度か大阪法務局を訪れていたが、担当職員は、調査中である旨答えていた。

二 以上の事実を前提に、告知義務及び即日却下義務に関する原告の主張(請求原因3)について検討する。

1 登記事務の処理工程は、通常、受付、調査、記載、校合、登記済証の作成交付の順序で行われるところ、登記官が申請書を受け取ったときは、遅滞なく申請に関する総ての事項を調査し(細則四七条)、申請に応じた登記をなすべきか、申請を却下すべきかを決定しなければならない。もっとも、当該登記申請に不登法四九条各号の却下事由がある場合であっても、その欠缺が即日補正しうる程度のものである場合には、直ちに却下することなく、申請人に補正を命じ、申請人が即日これを補正したときは、当初より適法な申請があったものとして登記すべきものとされており(不登法四九条但書)、さらに、その欠缺が即日補正されないためにその申請を却下すべき場合であっても、なるべく事前にその旨を申請人または代理人に告げ、その申請の取下の機会を与えるべきものとされている(準則五四条二項)。

右細則四七条は、通常調査に必要な合理的期間内に調査すべきことを定めたものと解されるところ、登記実務においては、一日に大量の登記申請が提出され、調査にも相応の日時を要する反面、登記所の処理体制にも自ずと限度があることから、受付時に調査完了予定日を定め、その翌日を補正日とするなどして申請人または代理人に了知させているのが一般であり(昭和三九年一二月五日法務省民事甲第三九〇六号民事局長通達参照)、〈証拠略〉によれば、大阪法務局においても、本件当時、一般には、受付日から中三日の調査期間を置き、その翌日を補正日とする取扱がなされており、平成四年八月一三日受付の本件登記申請については、同月一五日の土曜日と翌一六日の日曜日を除く中三日(一四日、一七日及び一八日)を調査期間として、その翌日である同月一九日を補正日とし、受付の表示版に補正日を表示することにより、その旨知らせていたこと、実際、前記一の1の(六)のとおり、本件登記申請のため大阪法務局に赴いた智孝は、本件登記申請の補正日が同月一九日である旨了知していたことが認められる。

2 告知義務について

(一) 以上によれば、準則五四条二項は、申請の欠缺を補正日に補正し得ない場合に、取下げの機会を与えることにより、申請書の再使用や登録免許税として使用した印紙の再使用が不能となる却下手続を避け(準則六八条二項、同六九条四項、登録免許税法三一条一項、三項参照)、取下後の欠缺補正による再申請を容易にしようとの趣旨の規定であり、その欠缺が補正し得るものであることを前提とした規定であると解される。

しかるに、本件登記申請は、前記認定のとおり、偽造の添付書類に基づくものであり、そもそも、その欠缺を補正することは不可能であって、右準則の適用はないというべきである。原告の主張する事前取下勧告の慣行も、右準則に基づく取下勧告の慣行をいうものと解される。

したがって、準則五四条二項及び事前取下勧告の慣行を根拠とする告知義務の主張は採用できない。

(二) そこで、さらに進んで、民事上の取引に起因する登記申請にあっては、通常は少なくとも登記申請人の一方は被害者であるから、登記官は、添付書類の偽造を発見した場合、条理上、その損害を未然に防止するため、その旨を直ちに申請人または代理人に告げるべきであったとする原告の主張について検討する。

(1) そもそも、不動産の権利に関する登記の目的は、実体的権利関係を登記簿に公示することにより、一般的な取引の安全を図ることにあるのであり、そのための登記官の義務としては、当該登記申請が不登法四九条各号の却下事由にあたるか否かを、申請書類及び登記簿に基づいて判断すれば足りるのであるから、偽造の添付書類に基づく登記申請があった場合には、これを却下し、登記簿に記載しないことにより、一般的な取引の安全を図れば足り、その背後にある原因関係に起因する個々の危険を防止する責任は、本来、取引当事者が負うというべきである。

したがって、登記官に、条理上の義務として、登記申請の背後にある原因関係に起因する危険を防止するという目的から、原告主張の条理上の義務が生じるためには、少なくとも、具体的事実関係の下において、申請人個人では、その危険を回避することが、不可能もしくは著しく困難であり、登記官にその保護を求めることが条理上やむをえないと認めるに足りる特別の事情の存することが必要である。

(2) 原告側の事情(本件損害の要因)

(ア) 原告が、自称広田らに金員を騙取された経緯は前記一の1のとおりであり、原告の当時の代表者であった楠は、岩谷から融資を持ちかけられた数時間後には、本人の意思確認ができれば融資に応じるとの返事をしており、その翌日である平成四年八月一二日には、初対面の自称広田に対し、金三億五〇〇〇万円の融資を承諾し、その実行の時期を翌一三日午後二時とすることまで合意し、翌一三日には、司法書士の資格のない智孝に登記申請書類の確認などを行わせ、同日中に登記申請を行うよう依頼した上、その場で現金一億五四二五万円及び金融機関の保証小切手である本件小切手を自称広田に交付している。

(イ) 金融業を営む会社である原告としては、初対面の人物に、三億五〇〇〇万円もの多額の融資を行うのであるから、その取引には当然慎重を期すべきであるところ、楠は、岩谷から融資を持ちかけられた後、現地に赴いて本件土地を確認しているものの、その数時間後には岩谷に対し、本人の意思確認ができれば融資に応じてもよいと返事していることからすると、右現地確認は、極めて簡単なものであったと考えられ、〈証拠略〉によれば、本件土地は、駐車場であり、その入口には連絡先として真の所有者である広田幸雄の名前及び電話番号が提示されており、本件土地の隣には右所有者がすんでいたことが認められるのであるから、原告において所有者確認のためのわずかな注意、労力を払えば、右融資を未然に防止できたことは推認するに難くない。

(ウ) また、自称広田が持参した本件土地の登記済証の偽造態様は、前記一の2の(三)のとおり、作成当時である昭和二八年には使用されていなかった現行の形式の登記済印が押されており、かつ、地目が宅地である場合に使われるはずのない「反」「畝」で地積表示がなされていたというものであるが、〈証拠略〉によれば、右のような登記済証の不自然さは、経験のある司法書士であれば、当然に気付き得るものであり、現に、平井司法書士は、現行の登記済印が昭和五四年から使用されるようになったこと及び宅地に「反」「畝」が使われることがあり得ないことを認識していたと認められるのであるから、原告において、慎重な態度で取引に臨み、平井司法書士に対し、十分な調査時間を与え、司法書士の資格のない智孝に申請書類の確認を任せることをせず、また、平井司法書士において、通常の注意をもって申請書類の確認をしていれば、自称広田の持参した登記済証が偽造であることを容易に看破できたというべきである。

(エ) 以上によれば、原告が、初対面の者に対して金三億五〇〇〇万円という多額の融資を行うについて、金融業者として当然必要とされる注意を払うか、あるいは、原告から本件登記申請を受任した平井司法書士が、登記申請書類の確認を行うについて、通常要求される注意を払っていれば、原告の主張する本件損害は、容易に防ぐことができたものということができる。

(3) 被告側の事情(予見可能性)

(ア) 本件において、大阪法務局登記官において、本件登記申請の背後に、融資取引があり、それが本件のような詐欺事犯に基づくものであって、これにより、原告が被害を被ることを予見しえたと認めるに足りる証拠はない。

権利に関する登記申請があった場合、登記官の審査対象は、申請書類及び登記簿に限定されるところ(形式的審査権、書面調査の原則)、本件では、原告を登記権利者、広田幸雄を登記義務者とする根抵当権設定登記手続の申請がなされているが、根抵当権設定の原因となる実体関係の態様はさまざまであり、右のような偽造の登記済証による登記申請があったことから、直ちに、詐欺事犯の存在と申請書に登記権利者として記載されている原告が被害者であることを予見しえたということはできない。

(イ) なお、本件においては、前記一の2の(一)のとおり、大成建設から、融資の当事者であるとして、相手方から預かった本件土地の登記済証の真否の確認を求められていた事実があるが、右の事実から、直ちに、大阪法務局登記官において、通常の手続に従い、補正日に却下手続を行っていたのでは、右損害が現実化してしまう、換言すれば、直ちに偽造の事実を原告または申請代理人に告げれば、右損害を防ぎ得ることを認識し得たと認めるに足りる証拠はない。

根抵当権は、設定時に直ちに融資がなされるとは限らず、不動産に根抵当権を設定して融資をする場合に、登記申請をした時点で直ちに融資金額を支払うか、これを普通の小切手で決済するか、本件のような銀行の保証小切手で決済するか、あるいは、後日の決済を行うかなどその融資時期及び決済方法を登記官において認識することは、一般的に困難であるところ、本件において、特に、右の点について、大阪法務局登記官が何らかの認識を有していたと認めるに足りる証拠はない。

(4) 以上(2)、(3)によれば、本件において登記官にその保護を求めることが条理上やむを得ないと認めるに足りる特別の事情が存したとはいえず、したがって、条理上の義務の発生を認めることはできない。

3 即日却下義務について

また、前記二の1で判断したところによれば、調査完了予定日の設定が、通常調査に必要な合理的期間を逸脱していない限り、登記官は、右予定日までに調査を行い、補正日に、申請を適法なものと認めてこれを受理し、記入、校合などのその後の手続を行うか、あるいは、不登法四九条各号に基づき却下するか、いずれかの手続を行えば足りるというべきである。

そして、右補正日は、申請のなされた受付の段階で、申請人または代理人に了知されており、申請人または代理人としても、申請が受理されるか、却下されるかが分かるのが右補正日であることを前提に行為することができるのであるから、本件のように、調査完了予定日を待たずして調査が終了した場合でも(前記一の2の(四))、登記官としては、補正日に、申請を受理するか、却下するか、いずれかの手続を行えばよいのであって、迅速な調査を行った結果、たまたま当初の予測を越え、調査完了予定日を待つことなく調査が終了したからといって、そのことによって、登記官としては、補正日に却下手続を行っていたのでは十分でなく、即日却下手続をとるべき義務が課せられるとすることは相当ではない。

したがって、不登法四九条を根拠に、却下事由が判明した即日に却下手続をとるべき義務が登記官に課せられることを前提とする原告の主張は、採用できない。

第三結論

よって、原告の本訴請求は、原告主張のその余の点につき判断するまでもなく理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 武田和博 重吉理美 西村欣也)

不動産目録(略)

別紙(1)、(2)(略)

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